しょうとくたいしりつぞう
聖徳太子立像
県指定有形文化財 彫刻
指定 昭和34年(1959)7月27日
像 高 75.8?
時 代 鎌倉時代末~室町時代初め
所有者 安濃町松原寺(しょうげんじ)
聖徳太子は、『三経義疏(さんきょうぎしょう)』を著し、法隆寺・四天王寺の建立をする等仏教の振興に尽力したことで有名です。
本像は、『聖徳太子伝暦』〔延喜17年(917)成立〕のこの中にある聖徳太子が二歳のとき東に向かって合掌し、「南無佛(なむぶつ)」と唱えたとの伝説によって作られた像で、一般に南無佛太子像と呼ばれています。
像容は、上半身裸、緋色(ひいろ)の袴(はかま)を着けて、合掌する幼童の姿をしています。あどけなく聡明さいっぱいの幼童の姿がみごとに表現されています。構造は寄木造(よせぎづくり)で、玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)しています。
また、本像は、「夜泣き太子」として赤ちゃんの夜泣きがひどいときにお参りすると、夜泣きが収まると言い伝えられてきました。