とうどう たかとら

藤堂高虎

藤堂高虎 -家康に最も頼りにされた漢ー

◆津藩初代藩主 藤堂高虎公◆

藤堂高虎は、弘治2年(1556)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に、郷士であった虎高の子として生まれました。高虎は、幼いころから人並みはずれた大きな身体と勇猛果敢な性質で、初めて仕えた主君浅井長政のもとで、姉川の戦いに足軽として初めて戦いに参加しました。その後、主君を替えて渡り歩いたあと、羽柴(豊臣)秀長に見込まれて、300石で召し抱えられると、多くの合戦で顕著な戦功を挙げ、主君の全幅の信頼を得て活躍しました。秀長亡きあとは豊臣秀吉に仕え、秀吉亡きあとは徳川家康に仕え、武功で主君に信頼を得るとともに、築城技術の名手としても主君から全幅の信頼を得て、大いに活躍しました。中でも、徳川家康には側近として仕えて、常に家康に重用され、関ヶ原の戦い及び大坂の陣において著しい戦功を挙げて家康の信託を決定的にしました。そのため、外様大名でありながら、徳川幕府を支える重鎮として、慶長13年(1608)に、家康から伊勢国の一部、伊賀国一円の領主として命ぜられて、初代津藩主となり、最終的に32万3,950石の大大名に上り詰めました。以後、津藩は明治維新まで改易されることなく、260年間続きました。
その後、高虎は二代将軍 秀忠の末娘で、正室 江(お江与)の娘でもある和子を天皇家に嫁がせるなど幕府の体制整備に尽力し、老後にあっても自国にいるひまもなく東奔西走していましたが、さすがに病気には勝てず、寛永7年(1630)10月5日、江戸の藤堂藩邸でその生涯を終えました。享年75歳でした。

◆シロモチくん◆

藤堂高虎公がまだ若く貧しい頃、餅屋の主人に恩を受け、”人の情けを忘れないように”とのことから、藤堂家の『白い三つ丸餅の旗印』が作られた。シロモチくんはその旗印から生まれた精霊であり、高虎公が、津に入府して400年にあたる2008年に現れました。その後、津市のやさしい人たちや、おいしい食べ物がとっても気に入って、津市の情報発信のためにずっと津市に住むことになりました。(*^^)v

DATA

住所
〒514-8611
三重県津市西丸之内5-1
電話番号
059-229-3248
問合せ先
津市生涯学習課
公式URL
http://www.info.city.tsu.mie.jp/modules/dept1171/article.php?articleid=626
SNS
営業時間
8:30~17:15
休業日
土日祝休み
料金
お城公園内は無料
アクセス
伊勢自動車道津ICから約10分近畿日本鉄道名古屋線津新町駅から徒歩約10分
備考
藤堂高虎公ゆかりの地の問い合わせは津市観光協会まで059-246-9020月曜日定休日10:00~18:00