きりやまじょうせき
霧山城跡(多気城)
祝!続日本100名城、認定!
南北朝時代の興国4年(1343)、初代伊勢国司の北畠顕能が築いた山城。 標高560mの天然の要害で、北畠氏は9世代約240年にわたってこの城を 拠点とし、南伊勢を治めました。天正4年(1576)、織田信長の軍勢に よって落城し、北畠氏も滅亡。現在も土塁の跡などが残っています。
多気城下絵図は下記PDFをご覧ください。
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きりやまじょうせき
南北朝時代の興国4年(1343)、初代伊勢国司の北畠顕能が築いた山城。 標高560mの天然の要害で、北畠氏は9世代約240年にわたってこの城を 拠点とし、南伊勢を治めました。天正4年(1576)、織田信長の軍勢に よって落城し、北畠氏も滅亡。現在も土塁の跡などが残っています。
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