むらざかいのひ
村境の碑
津の海は、昔から白砂青松の海岸が広がり、海水浴場として県内外から多くの海水浴客が訪れた。毎年初夏の潮干狩り、夏の海水浴のシーズシには多くの人出でにぎわっている。
阿漕浦海岸の松林の中に、小さな石碑があることはあまり知られていない。高さ98センチメートル、幅28センチメートルほどの石柱で、よく見ると3面に文字が刻んである。南面に「是ヨリ北津興村」、北面に「是ョリ南藤方村」、西面には「明治二十一年一月」とあり、これが津興村と藤方村の境界を示す碑で、明治21年1月に建てられたことが分かる。
ところで、津興という地名は、津の町が興った地にちなんだものといわれ、現在の船頭町、上弁財町、下弁財町、阿漕町が含まれる。天正8(1580) 年津城主となった織田包が津城下町形成に伴って、当地の町民を移転させたといわれている。
・藤方村は、現在の藤枝町、米津地区に当たり、日本書記の雄略天皇17年松林の中に立つ石碑3月の記述の中に「伊勢国藤形村」の記載があり、古くから知られた地名である。
この石碑の建立された明治21年は津市が市制を施行した前年にあたる。
明治22年4月1日に全国30市とともに市制を施行したが、この時、津興村と藤方村のうち藤枝は津市に編入された。残る米津地区は、垂水村と合併した水村に編入され、その膝水村は昭和11年津市に合併された。
