泅水術観海流 寒中水泳
2025年1月13日 @ 11:00 〜 12:00
観海流の開祖は、武州忍藩(今の埼玉県)の浪士宮発太郎信徳です。師は、諸国遊歴中に、遊泳術を習得して、のちに津の藤堂藩に来ました。
家老藤堂高克公は、発太郎の泳ぎをみて、その妙技に感心して、海を観ること陸の如し、すなわち「観海如陸」の句を与えて賞讃しました。
観海流の由来は、この句の観海の二字をとってつけたものです。ときに、嘉永五年(西暦1852年)のことです。
この泳ぎ方は、遠泳にむいていることから、藤堂藩の武道のひとつとして重んじられてきました。
発太郎は、その後津を去りましたが、そのとき、藩士山田省助が免許皆伝を受け、初代家元となりました。
省助は明治三年に津市の阿漕浦に道場を開き、藩士・子弟に伝授しました。明治四年廃藩置県により、他の武術同様廃絶の運命となりましたが、 明治十一年になると、省助は道場を再興、観海流の指導にあたり数多くの子弟を養成しました。
明治二十四年には、二見浦で大正天皇の皇太子時代、御前遊泳を行うに至り、この栄誉は、後の観海流振興への大きな原動力となりました。
更に、明治三十年代になると県内はもとより、京都一中はじめ他府県からの習得希望もあり全国に普及伝播するようになったのです。
昭和39年の東京オリンピックにおいて遊法演武を行うなどしています。